会議中、気づけば足が小さく揺れている。
無意識のうちに動いてしまうこの“貧乏ゆすり”、
多くの人が「落ち着きがない」「イライラしてる」と捉える動作かもしれません。
けれどその一方で、
「やめよう」と思っても止まらないのはなぜでしょうか。
もしかするとそれは、身体が自分を守ろうとしている反応なのかもしれません。
揺れる足がめぐらせるもの
長時間座っていると、重力によって血液は下半身に滞ります。
ふくらはぎを中心とした下肢の筋肉は、
本来“ポンプ”のように血液を心臓へ押し上げる働きを持っていますが、
動かない状態ではその機能が低下してしまう。
このとき、無意識に始まる小さな揺れが、
筋ポンプの働きを呼び戻しているのです。
脚のリズム運動によって静脈還流が促され、血流を保とうとする。
さらに、一定のリズム刺激は脳幹を軽く刺激し、
セロトニンなどの神経伝達物質を安定させ、
「集中しすぎず、眠くもならない」中間の状態を保つ。
貧乏ゆすりは、そんなふうにして
身体のバランスを静かに調整している現象でもあります。
ストレスを逃がす身体の知恵
ストレスを感じたとき、身体は交感神経が優位になり、
筋肉は緊張し、心拍や呼吸も速くなります。
けれど、現代社会ではそのエネルギーを「走る」「叫ぶ」などの行動で
解放することがほとんどできません。
その結果、余ったエネルギーを身体が微細な動きで逃がそうとする。
それが、貧乏ゆすりや指先のリズム、ペン回しのような動き。
つまりこれは「神経質な動き」ではなく、
身体がストレスを自己調整している自然な放電です。
「静止=礼儀」という思い込み
ここで興味深いのは、
生理的には合理的なこの動きが、社会の中ではマイナスに見られる点です。
「動かないこと=落ち着いている」「揺れること=不安・焦り」
という価値観が、私たちの文化の中に根づいています。
でも本来、身体は“微細に揺れて生きる”もの。
完全に静止している状態こそ、むしろ不自然です。
人間の身体は、常に揺れながらバランスを保ち、呼吸し、循環しています。
静けさの中にも、小さなリズムがある。
それが「生命の在り方」なのかもしれません。
止めるよりも、ゆるめる
貧乏ゆすりは、身体が内側の緊張を放電するように、
小さな動きでバランスを取り戻しているだけかもしれません。
無理に止めるよりも、
姿勢を変えたり、少し体を動かしたりするだけで、
身体は自分なりのリズムを見つけていきます。
動きを抑えるのではなく、動ける余白をつくることが、
身体を自然に落ち着かせてくれる。
小さな揺れの中にある、いのちのリズム
「貧乏ゆすり」は落ち着きのなさではなく、
身体が血流と神経のバランスを保とうとする自然な反応。
静止を求める社会の中で、
身体は小さな“ゆらぎ”の中に、自分を保つ道を見つけているのかもしれません。

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