楽しいは、“楽” からはじまる。

「楽しいことがわからない」——そんな時期がありました。
気づきのきっかけは、“我慢を手放す”という小さな選択でした。

「“楽しい”って何だろう?」と立ち止まったときに

突然、「あなたにとって楽しい時間ってどんなときですか?」と聞かれても、
昔の僕はすぐに答えられませんでした。
「え、なんだろ……?」って、頭の中が空白になったんです。

世の中には、「人生楽しんでるなあ」という人もいれば、
「なんだかいつもつらそう…」という人もいます。

前者には人が集まり、自然と良いことも舞い込んでくる。
後者には、つい距離を取りたくなってしまう。
そして、なぜか毎日つらそうな出来事が起きているようにも見えます。

“がんばること”が苦しかったあの頃

よく見かける「ポジティブシンキング」や「人生を楽しもう!」というメッセージ。
それが心に届くときもあれば、昔の僕には逆効果でした。

無理やりポジティブに考えても、続かない。
無理に楽しもうとしても、感情がついてこない。
そういう時期が、確かにありました。

今思えば、いちばんしんどかったのは、「無理やり」やっていたことでした。
“我慢することが正しい”と教え込まれてきたから、
嫌なことでも、とにかく耐えてやり続けていた。

気がつけば、それが“ふつう”になっていたんです。

でも、我慢ってバネみたいなもので。
ぐっと押し込めば押し込むほど、エネルギーが溜まっていって、
やがてキャパを超えると、一気に弾けてしまう。

気づいたのは、あたりまえにしていた“我慢”

先月、一人でマレーシアを10日間旅してきました。
その中で印象的だったのが、「イライラしてる人がいない」こと。

電車に乗ってる人、街を歩いてる人、ホテルのスタッフ。
誰もがどこか、ゆったりしている。

逆に日本に戻ると、
「こんなにも多くの人が、常にどこかイライラしてるんだ」と気づかされました。

「日本って、我慢してる人が多いな」と思った旅のあと、
改めて感じたことがあります。

**「楽しいことが見つからない人って、実は自分の気持ちが麻痺してる状態なのかもしれない」**と。

本当はやりたいけど我慢してやらない。
本当は嫌だけど我慢してやる。

そんな日々を繰り返していたら、
いつしか「自分の本音」がわからなくなってしまう。

「逃げること」が、自分を取り戻す一歩だった

僕が変わるきっかけになったのは、ある友人の一言。

「辛いことから逃げてもいいんだよ」

それまでの僕は、逃げる=負けだと思っていました。
でもその言葉に、ふっと力が抜けて、少しずつ自分を取り戻していけた。

嫌なことを手放す。
嫌いな人とは距離を取る。
我慢しない。

そうやって「気持ちが楽になる選択」を続けていたら、
自然と“楽しい”と感じる瞬間が、戻ってきたんです。

人間も、植物も同じなんだと思う

少し話は変わりますが、
僕は観葉植物を育てるのが好きです。

観葉植物って、もともとは自然の中で生きていたもの。
太陽の光を浴びて、風に吹かれて、雨に濡れて、のびのびと育っていた。
それが室内に置かれると、実はすごく我慢しているんです。

明るさが足りなかったり、風通しが悪かったり、根が窮屈だったり。
それでも植物はけなげに生きようとして、環境に適応していきます。

でも、ある日ふと外に出してみたり、
本来の環境に近づけてあげたりすると、
「あれ?こんなに元気になるの?」ってくらい、
葉っぱが大きくなったり、ツヤが出たり、生き生きしはじめる。

それだけ、我慢していたってことなんですよね。

人間もきっと、同じです。
無理にがんばってるときほど、自分では気づきにくい。
でも、少しずつ“本来の自分”に戻っていくと、
驚くほど力強く、のびのび生きられるようになる。

「楽しい」は、「楽(らく)」から始まる

楽しいことができるようになるには、
まず“楽をする”ことから。

「楽をする」は、決して悪いことじゃない。
むしろ、自分の心を取り戻すために、大切なこと。

少しだけ“楽”をしてみてください

それだけで、ふっと気持ちがゆるんで、
どこかに隠れていた「楽しい」が顔を出してくるかもしれません。

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